はじめまして。キュア整体院院長の水野敦仁(あつし)と申します。今は妻と子供一人(22才次女。長女は結婚しています)と守山区で暮らしています。
医療系専門学校卒業後は整形外科や接骨院で働いていましたが、2004年11月「誠の医療を行いたい」という気概を胸に尾張旭市で独立開業し、今は腰痛治療・外反母趾改善メソッドを中心に痛みで苦しむ患者さんを治療しています。
今でこそ地元や東海3県はもちろん3県以外からも数おおくの患者さんが来てくれるようになりました。
ですが、ここに行き着くまでは簡単な道のりではなかったです。
少しだけ私があなたを救いたい理由を話させて下さい。
私の治療家人生の始まりは、驚きの連続、挫折や壁の連続でした!
まず驚いたのは、まだ駆け出しの21歳、身体に痛い所が1箇所もなく臨床経験のない私は“なぜ毎日のようにお年寄りの方が通ってくるのか?”が全く分かりません!
やっと少しそれが分かるようになったのは1年後でした…。
というもの中腰の多様という不良動作を続ける内に腰が重くなってきて、どんどん重症化しついには腰にコルセット、膝にグルグル包帯を巻き固ないと痛みで施術ができないようになってしまったからです。そして同僚に施術を頻繁にしてもらいなんとかしないでました。
その時になり、始めて通い少しでも楽にしてもらいたい気持ちが理解できました。
しかし、コルセットは半年から1年は着けっぱなしでしたが、、
この経験で同時に得たのが「ほぐしてるだけじゃ治っていかないんだ」という事でした。
《悔しい挫折経験》
臨床経験も浅い私はある日、患者さんの施術をしようとお呼びした所
「お前にやってもらうのは嫌だ!」と院長先生の目の前で言われた事です!
その時の光景はいまだに目に焼き付けています。悔しかった私はところ構わず施術の練習をしました…施術ベットやベットの上に木の板を置いて入れる刺激量の訓練をしました。
そんな事をやっていった結果、その方は私に施術をさせてくれるようになりました。
《他院の適当診断の多さに驚愕》
整形外科勤務時代
・外科で何とも無いと診断されたが、看護師さんよりこっそり「整形外科で診直してもらって下さい」と言われ転院してきた所、思い切りかかとの骨が折れてた。
ドクター診断後に私がグラフィン型というかかと骨折用のギプスを巻き事なきを得た。
・他の整形外科で「気のせい」と診断された人の手が麻痺してた。
あげだすとキリがないほど適当でした。
そんな事が起こるたびに“将来開業した際には・ウソを言わない誠の医療をしたい!
・歳や自律神経のせいにしない(←一見それっぽいですが単なる逃げの説明です)”と心に誓いました。